2018/05/29

2016年の3月11日は、たぶん日曜日、当時のバイト先である書店の営業最終日だった。

ユニクロからし色のとっくりセーターを着ていったら、異動でもう店舗にはいなかったけれどその日はお店に来ていた元社員さん(Aさん)も同じ色のセーターを着ていておかしかった。当日は、Aさんが企画した対談イベントが店内で行われていて、撮影のために来た人が、「セーターの色が同じだから、どっちが写ってるのか一瞬わからないよ」っておかしそうに言われたのもおもしろかった。

もともと、Aさんが店舗のツイッターアカウントでつぶやいていたことがすてきだったことがそこでバイトをすることにしたきっかけであったし、後に教えてもらった個人アカウントのつぶやきもすてきだし、DMのやりとりもあまりにすてきだし、で、大好きな人だったので、ただ偶然セーターの色が一緒だったっていうだけでとびはねるほどおかしかった。嬉しいっていうか笑っちゃって楽しかった。

 

翌年5月21日、付き合っている人間の誕生日に、その人間と一緒にABC本店での奥山由之さんと佐内正史さんのトークイベントへ行った。(奥山さんの写真集刊行記念のイベントだったので、奥山さんの名前が先)

前述のセーターより、もうすこし渋めのからし色のワンピースを着ていった。

そうしたら、奥山さん佐内さんお二方ともからし色のお召し物を着ていて(奥山さんはトップス、佐内さんは覚えてない)、あ~かぶったな~うれしいな~と思った。

思ったので、メモ用ノートに「3.11 からし色のとっくりセーターを着てったら、(A)さんとセータの色がかぶった。5.21 からし色のワンピースを着てったら、佐内さん奥山さんとかぶる」とメモをした。

 

そして今年の1月にあった奥山さんと葛西さんのトークに行ったときにも、奥山さんは半年前と同じトップスを着ていて、わたしは(ああなんでわたしはからし色のセーターを着てこなかったんだろう)と後悔した。

ので、先日5月27日にあった上田義彦さんと奥山さんのトークのときには1年前と同じワンピースを着ていった。

 

ABCでのトークへは、同じ人間と一緒に行くことが多くて、時間ぎりぎりに席に着くことが多い。なぜか

だけれど、上田さんのトークの日は、15分前には会場に到着できて、前から2列目のまんなから辺の席へ座った。すこしだけ時間をかけて、たくさんの空席のなかから自分たちの座る場所を選べた。

2,3分したらわたしの隣にたぶん20代の男の人が座った。

その男の人が座って2、3分くらいしてふと彼の足元を見たら、からし色が目に入った。スニーカーは白色で、靴下がからし色だった。

1年前のメモの下に「2018.5.27 右どなりの人のくつしたがからしいろ」といそいで書いた。

 

写真家は、もしかしたら周りの人には見えていないかもしれない、なにか自分という存在を超えたものに気付けることが、大切だったか必要だったかは忘れたけど、そういう「気付き」のことを上田さんはトークでお話していた。

「自分がそこにいることが幸運だと思いませんか。また、自分が幸運だということにも気付いたことが幸運ですね」ともお話していた。

 

写真には写らない「そこ」だけれど、気付けて嬉しかった~ということ

絵をうまくかけるようになれたらいいけれど、写真をうまくとれるようになれたらいいけれど、よい文章が書けるようになったらいいけれど、などこういうことができるのはいいな~と思うことは多いけれど、1番は上田さんのように、気付ける受信機の精度を高めていけたらいいな~ということで、まだそれは「なにかからし色をした自分というそんざいを超えたもの」くらいしか受信できていないんだけど、それを今はたんたんと記録をしてゆく。修行をしてゆく。

 

2017/09/17

4辺にそれぞれ力を入れながらスタンプをおすと、内側の図だけが写されるはずのスタンプも、写されないはずの四角い輪郭が図になることがある。とか、その人がりんごをかじったら、そこに歯型がつく。とか

 

愛ってそういったことなんだろうなと分かった。

愛ってなんなんだか、とプラプラ考えていた矢先の発見だった。センチメンタルな旅。

 

何ヶ月か前にチラチラっと立ち読みしたのは、たぶん『I Love Youの訳し方』って本で、誰の言葉かも細かいニュアンスも覚えてないけれど、「わたしは○○才でようやく生まれた」みたいな、1人を愛するようになってやっと自分が「生まれた」、というような訳があったのを覚えている。それだけ覚えている。

1人の人間と向き合うことに不慣れで、試行錯誤、知らなかった自分についていくのに必死なその時期(今もだけど)の自分にとってしっくり来た言葉だったんだと思う。

 

自分が生まれる、ということと、あとは、世界が生まれる、ということ

 

好ましく思える人間がいて、その人を愛している、という時に言うその「愛」が、その人間(だけ)に向かっている・宿っているんではなくって、世界に向かう・宿るんだろうかね

 

月が綺麗ですね

今夜だったら、「雨風が強くなってきましたね」

 

それは、月が綺麗なこと・雨風の強さを相手と共有したいとか、「そうですね」と言い合いたいとかそういうんだと思っていたけど、それだけではなくて、共感したいとかいう以前に、ただ月がそこにあって、雨風が強いって、って、ただそれだけのことかもしれない

月と雨風を自分が今見ている(ということを認識している)っていう、愛しているってそういうことかも

 

と、その写真家の撮った写真を見て思った。「陽子」が写っていない写真にも「陽子」はいたし、「陽子」だけが写っている写真にも彼の世界があった。世界を前提とした陽子であり、陽子を前提とした世界が見えたように思えた。(全部の写真の四角中に「陽子」への愛を感じた。)だから、(ただの)新婚旅行の記録写真にもみえる(というか、実際そう)写真群を見てなぜかちょっぴり苦しくなって涙が出たんだと思う。(もちろん、写真に宿る愛だけじゃなくて、その前に読んだ「この『センチメンタルな旅』は私の愛であり写真決心なのです」というキャプションに少なからず涙腺はノックされた)

 

目に見える世界

りんごについた歯型とか、電車の中で飲む「冷し麦茶」とか、「陽子」の足元に置かれた薬缶とか、月とか雨粒とか、

そういうものが、(愛する人を含む)自分の世界をかたどってゆくと同時に、

自分の意思で、その人間を中に含んだ(自分の)世界をかたどっていかないといけなくなる。

簡単な言葉でいうと、結婚とか人生設計とか、覚悟とか責任とか、家族とか、そういうもの

 

これまでは地に過ぎなかった世界っていうものが、だんだん図になってゆく

 

愛している、っていうのが、好きの最上級・その先、みたいな、そういう捉え方をするものとは訳が違くて、もっと大きくて厄介で、なれたくないと思ってもそもそもそれさえ難しいもので、だからこそ、こねくりまわしながら付き合ってゆきたい言葉なのかもしれないという2017年23歳時点でのわたしの認識

 

だから、愛してると好きは1秒単位でいったりきたりするし、たった今はまったく愛してなんかいないし、なんだかくさい言葉をたくさん並べてしまったので鼻をつまんでいるし

2017/09/01

マルセル・プルースト氏のボットをフォローしている


「どうして彼女は、『わたし、あの趣味があるの』と打ち明けなかったのだろう」(第六篇 逃げ去る女)


という今日の正午になされたツイートを読んで、昨晩の出来事を思い出した

 

「今なんの本を読んでいるの」と尋ねると、彼女はその文庫本を取り出して、最初は人物の言葉遣いがなんとかかんとか、とか抽象的に褒めだして、途中からあるページを開いて、「このシーンが」と語り始めた
登場人物の少年(なのかなどうかな)が身内の葬式に出席したときの自分の気持ちを思い出して語る場面で、それは悲しさ寂しさ驚き不安とか、そういう感情よりもすこしグロテスクな感情だった。グロテスクっていう形容詞をあまり使ったことが無いし意味もよく理解できていないけど、そういうニュアンス

 

その場面を「自分のことが書かれているかと思った」と彼女は話した
でもって、私自身も「自分のことが書かれている」と思った。自分が曽祖父の体が燃やされた火葬場にいたときのことをいつぶりかに思い出した

 

そこから、二人でその「グロテスク」な自分について散々話した

 

その夜に、彼女から、今日初めて、人の心の底にしまってあったこと話せたきがします、と連絡が来た。
奥底の引き出しにしまっていたことだったのかもしれないけど、話し出したのは彼女自身だった
「今読んでる本」がその引き出しを見つけて、たまたまその本についてわたしが聞きたがった、っていう、それだけだった


本を読んでいると、時折そういうことが起きる。
これ自分のこと、自分が思うことが書かれているとはっとしたり、さっき自分が体験した出来事、感情が書かれていたり、自分の好きな人のことが書かれていたり、読んでいるその時に驚くほど好きだと思える一節があったり、そういうこと
あるいは書き手の癖と自分の好みが一致したり、テーマが好ましかったり、と、内容ではなく書き手との親和性を感じることもある。

 

そういうことの起きる、読んでいるときの高揚とか、本当にお腹がむかむかして気持ち悪くなるほどの衝撃とか、をなんとなく知っている。
そのときの感情は、生身の人間を相手とした恋愛感情に近いと思う。

 

だから、1番好きな人たちが好きだという本をなかなか読もうと思わない。それはもはや嫉妬の対象となってしまう。
ちょっと仲良くなった友だち、くらいだったら、その人たちの好きなものはなんでも目にしたいと思うんだけど、それ以上好きになってしまうとそうは思えない。今のところ、そういう人が2人いる。
そのうちの1人とはじめて会ったとき、その時に本の話をして彼の好きな本を読んでいたり、同じ本を同時期に読みましょう、とか提案したりもしていたけれど、親しくなればなるほどそれができなくなったことを今思い出す。

 

その人に好かれたその本のことがうらやましくなってしまう。


そのくらい、読書体験っていうものが、その人にとってかけがえのないものだと思う。意識していても無意識だろうとも

だから、ってそういう論法にするのは無理矢理かもしれないけれど、好きな本、今読んでいる本で覚えている場面を話すことは、同時に自分について話すこととほぼ同じなのかもしれなくて、昨晩一緒にタイ料理を食べた彼女にとってはそうだったと思う

 

もしわたしが今読んでいる本を尋ねられて、いしいしんじさんの『東京夜話』であることは話せても、本当に1番好きな場面を、理由と一緒に相手に伝えられるか、といったらできるか分からない。(あと1つ短編を読み残しているから、1番かはわからないけど)そのくらい、「お話」はかぎりなく「私」に近くて、語るには恥ずかしくてたまらないものっていうこと


だからこそ、その『趣味』の話を人から聞くことはこのうえなく愉しいし、読んできた本について知ることはその人のことを知ることで、愉しかったり嫉妬を伴ったりもするけれどやっぱりやめられないことなんだと思う。


「だが、国内線のターミナルに着くと、飛行機が飛んでいないことがわかった。どうやら、霧が出ているようだ。
 ロビーの椅子は全て埋まっていたので、待ち時間のひまつぶしに、雪村たちは地べたに座って喋った。
 『あのさ、私、最近急に、世界がある、っていう気がしてきたんだけど、時田くんは最初っから、世界がある、って知ってたの?』
 と雪村は訪ねた。
 『何それ?』
 と時田が聞き返す。
 『なんで急に?』
 と鈴木さんも首をかしげる
 『ここ何日かで、急にそんな気がしてきたの。私、今まではみんなそれぞれの世界の見え方が違うから、ひとりひとりの頭の中に世界があるんだと思ってたの。だから人間の数だけ世界があると思ってたの』
 と雪村は続けた。
 『うん』
 と佐藤君が相槌を打ってくれる。
 『だから今までは、たとえ世界史でも、国ごとに言ってることが違うし、本当の世界史ってどこにもない、って思ってたんだけど、最近になって、物事が複雑なだけで、本当の世界史っていうのものが必ずどこかにある、っていう気がしてきたの』
 雪村がさらに続けると、
 『それはあるでしょ」
 時田は言う。
 『だから、私の頭の中に世界があるんじゃなくて、外界に世界があるんじゃないかって気がしてきたの』
 昼過ぎまで、床の上で待っていたが、結局その日は飛行機が飛ばなかった」。

 

これは、さっき『私の中の男の子』(山崎ナオコーラ)を読んでいたときにはっとしたところで、それはなぜかというと、東京夜話のなかでわたしがとびきり好きなところと似ていたからで、もし東京夜話と私の中の男の子の読む順番が逆だったら、今読んだときとは別の印象を持ったのかもしれない、ところ。

 

それだけのお話

2017/08/22

N・S・ハルシャ展と、ナイト・オン・ザ・プラネットと、ワン・デイ・イン・ヨーロッパと、渋谷のクリスマス追跡と、二子玉川の電気屋さんと、甲子園と、リップスライム

 

今ここで生活しているっていうことだけしか同じことはない、ということは、今ここで生活していることは一緒っていうことだけは、それが続く限り揺らがないということ

 

って、思う話。

 

もう1回羅列すると、N・S・ハルシャ展の話と、ナイト・オン・ザ・プラネットとワン・デイ・イン・ヨーロッパの話と、渋谷のクリスマス追跡の話と、二子玉川の電気屋さんの話と、甲子園の話と、リップスライムの話。

 


展覧会グッズのトートバッグとか、母からもらったものとか、かばんはそういうのしか使ってなくて大人気ない。


今年4月、森美術館へ観に行ったN・S・ハルシャ展で買ったトートバッグが使いやすくて、頻繁に使っている。バッグに印刷されている作品がとても好きだったのと、そのタイトルが作品と同じくらい、それ以上に好きだったから、迷わず買えてしまった。

 

「ここに演説をしに来て」

 

N・S・ハルシャと巡る“チャーミングな旅”作品紹介#3《ここに演説をしに来て》 - 森美術館公式ブログ

 

引用
「《ここに演説をしに来て》はこの時点での集大成ともいえる野心作です。全6枚のパネルに2,000人以上の人物が描かれており、そのなかでは映画のヒーローや現代アートのスター、『いつもの』人びとなどがじつにおどろくべき多様さとともに描かれていますが、彼らが世界中どこにでもあるプラスティックの椅子に座っていることで、その場がどこであるのかは曖昧にされています。全体と部分、集団と個人、反復と差異は、この作品を制作して以降ハルシャにとってますます重要になっていきます」。

 

誰ひとりとして同じ人、外見も行動も、がいない様子は、俯瞰してみてもぐっと近づいて一人ひとり観てみても愉しい。
まさに「近づいてみれば物質の状態であり、遠退いてみれば観念のシステムである。作品の秘密は、距離の力学にある」って感じ。かっこつければそういう感じで、純粋にひとりひとり見てゆくのが面白おかしい。


そうやって観るのもいいし、それに「ここに演説をしに来て」っていう題がついてるなんて、さらに愉しい。
これだけ多様な2000人の前じゃ演説なんかできるわけないでしょ、って、そういうことではないんじゃないかね

2000人は普段話す言葉だってたぶん同じじゃない。言葉も違うし、価値観だって違うし、聞いたこと一つへの理解度だって違うし、その反応だって違うし、もはや全員が耳が聞こえるとも限らないし。
演説が無理ってわけでもないけど、簡単ってわけでもなくて、そういう云々ではなくて、「そういうところ」なんですよということが、その題名で全部伝わる。すげえ。「そういうところ」にそういう人たちが「座ってる」んですよ(もちろんそうじゃない人もいると思うけど)っていうことが愉しい。

 

演説が始まろうとそうでなかろうと、2000人が座っている

 


今年に入って、親しい人がレンタルしてきた「ナイト・オン・ザ・プラネット」という映画を観た。原題は「NIGHT ON EARTH」。

 

movies.yahoo.co.jp

 

引用。「地球という星の、ロサンゼルス、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキという5つの都市で、5人のタクシー・ドライバーが乗客を乗せた。同じ夜にそれぞれに繰り広げられる5つの物語」。


シーン(国)が変わるときに、ちがう時刻をさす5つの時計が並ぶのもよかった。

 

でもって、最近観たのが「ONE DAY IN EUROPE」。

 

movies.yahoo.co.jp

 

「サッカーの欧州王者を決めるUEFAチャンピオンズリーグ勝戦当日に、ヨーロッパの4都市を訪れた外国人旅行者をめぐる悲喜劇。人々が中継に熱狂しているときに異国の地でトラブルに巻き込まれ、途方に暮れる旅行者のエピソードを、オフビートな笑いで描き出す」。

 

同じ時間に、地球上の違う場所で起こることを、前者はタクシー、後者はUEFAチャンピオンズリーグ勝戦っていうフィルターを通して複数並べる。
その並べられた出来事たちは、それぞれはまったく繋がりはなくて、ただそのフィルター1枚で関わりあってるのがよかった。

 

その人がタクシーを拾うってことは、そうじゃない人もどこかでタクシーを拾っているってことで、
仕事さぼって決勝戦を観ちゃう人もいればそんなのどうでもよく困っている人もいるっていうこと、で

 


いしいしんじさんの『東京夜話』っていう文庫本をお借りした。

 

www.shinchosha.co.jp

 

いしいさんの文章を読むのははじめてだったけど、これは他の作品と少し印象が違うって聞いていて、最初に読んだがこの短編集っていうのはとても最高だなと思った。とても好きだった。


都内の土地にちなむ短編集。「クリスマス追跡」と題名がつけられたそのお話では、渋谷の姿が描かれている。

ある時期からクリスマスを避けてきた男性が、今、クリスマスはどうなっているのだ、「今宵こそ、対決の夜だ。油断するなよ、クリスマス。僕が見極めてやるからな」と外に出る。

 

まず足を運んだ御茶ノ水ニコライ堂での降誕祭には、
「ここには、ぼくが相手にするべきクリスマスはいそうになかった。いわば頑固一徹、職人気質のクリスマスで、その一貫した態度は立派だとさえ言える」


渋谷、山手教会のミサには、
ニコライ堂よりは薄味ではあるが、この教会にいるものも、やはり具体的なクリスマスだ。相手違いだ。内輪の寄り合いに口を突っ込むのは趣味じゃないし、意味がない」なんて思う、そのとき、歩道で「人波を切り裂いて、男女ふたりずつの四人組が、笑顔で拳を突き上げ練り歩く」姿を見かける。


「教会で祈る人も、歩道で歌う人もいる。キリスト教の人々も決まったやり方があるわけじゃないのだ。それぞれ勝手にやっているのだ。ぼくは少し安心して、あらいぐまたちから離れ、裏道を通って」向かう宇田川町では、クリスマスをわがままの「口実」にする女の子と男の子の姿を見、


「こういう夜に、ニコライ堂ではお経が上がる。聖歌隊は揺れさざめき、四人組は紙コップで乾杯する。そこにもスタンダードなんてない。みんなばらばらだ素晴らしい」
と感嘆するし、そのあとに目に耳にするものも相当おもしろい。クリスマスっておもしろい。

 


今年のたまがわ花火大会当日、17時頃、二子新地、屋台が両側に出ている通り、にある電気屋さん。表の通りには、屋台を出す人たちの声が響いてるなかで、その店内にはその日の昨日とも明日とも同じ、日常の空気が漂ってる。そこで店番をするおばちゃんは、巨人戦を観ている。あべしんのすけがアップで写ってるのが見えた。

 


親しくしている人が設計をした住宅にお邪魔をした。お施主さんが、直前まで見ていたであろう甲子園がテレビから流れてる。出場校校歌の歌詞が表示される。奥さんが「あ、作詞、南こうせつなんだ」と声に出す。それは宙に浮かぶ

 


カラオケで、楽園ベイベーのラップも歌えるお姉さん(のように慕っている人)と、サビしか歌えないわたし。

 

並べられている椅子に座っていても
ある時間にある土地でタクシーに乗っても
勝戦が開催されても
クリスマスの夜でも
花火大会の開催直前でも
甲子園がテレビで放送されていても
1人である1曲を耳にしていても

 

隣にはスーパーマンがいるかもしれなくて
ほかの土地でも同時にタクシーに乗る人がいて
そんなの観ない人もいて
祈る人も祈らない人もいて
天気よりも気になるものがある人がいて
口から出る、拾われない一言があって
その先何年か後に友だちになる人も、そこかでそれを聞いてるかもしれなくて

 

今ここで生活しているっていうことだけしか同じことはない、ということは、今ここで生活していることは一緒っていうことだけは、それが続く限り揺らがないということ、だけが続いてゆくのかもしれない

 

その確かなことがぶつかって、網目になって、友達ができたり家族になったりするのはもちろんそうで、そのことは今はおいておいて

 

とにかく、悟空たちがすむところは、わたしたち(の先祖あるいは子孫)が穏やかに住むところと繋がっているっていうこといぇいいぇい

2017/08/21

溝の口から二子玉川まで歩く。


二子新地で屋台が出てる」って言ってたのにそこをスルーして多摩川を渡ったのは、雨が降り始める前にレジャーシートを敷いてしまいたかったからだったらしい
だから、わたしが中止になりますかねって聞いて「開催はされると思う」って答えたのは気休めではなかったんだって

 

結局、ショッピングセンターでトイレ休憩とってる間に雷雨落雷雷雨落雷、で、花火大会は中止になった。楽しみにしていたのはそりゃそうなのでちょっと残念ではあったけれど、一滴も濡れずに済んだし、帰りの電車も動いていた。し、渋谷で入った喫茶店(カフェ、の方が似合うけどそう打つのがただ単に恥ずかしい)には土曜夕方なのにお客さんが誰一人いなくって、わたしらが席についてからBGMが鳴り出して、とんでもなく贅沢な過ごし方をさせてもらったのがよかった。そのあと何組かのお客さんが来て、にぎやかになったのもとてもよかった。今年の花火はブルーベリータルトになった。花火はブルーベリータルトになった。

 

あと、最近あったこと3つ。

 

ひとつ
次の日、中央線に乗ったら、途中から乗ってきた家族連れの「花火だ」に車内が沸いて、次に子供が放った言葉にさらにわたしが沸いた。「花火も一緒に動いてる」。


走る車から見ると、月がずっと追いかけてくるみたいに、花火も追いかけてくるように見えるのは実際そうなのかどうなのかは分からないけれど、その時は花火も一緒に動いていたんだろうと思う。神宮の花火大会だったらしい。わたしは花火の半分くらいしか見えなかったけど、でも花火も一緒に動いていました。その子がそう言ったんだから絶対そうなんだろう。

 

ふたつ
今住んでる建物のすぐ目の前に横断歩道があって、もう引っ越してから4年目にもなるのに、その横断歩道の白線のひとつにきれいな山並みみたいなヒビが入ってるのに最近気付いた。向かいのスーパーに行くときに気付いて、帰りに渡るときに山並みの写真を撮った。のが、溝の口で印刷した写真のなかに含まれてた。


印刷したその写真は、白線が接写されてて、太陽が出てるみたいなヒビも写ってて、思い通り、それ以上に撮れてておもしろいなと思った。で、家に帰ってからパソコン開いてデータでも写真を見返しててびっくりした。


印刷したのには写っていない、左右の広がりも写ってた。印刷したのには山が10くらい連なっているんだけど、データのには15くらい連なってた。上下の幅は印刷したのと変わらなくて、左右の視界だけが広くて、パノラマ写真みたいになっていた。たしかにそれ以外の写真も、現像したのよりデータのほうが左右の幅が広がっていたけど、それはちょっとだけで山何個分って訳じゃなかった。

 

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カメラとか写真に詳しいであろう人にそんなことがあった理由が分かるか聞こうかと思ったけど、なんとなくやめた。(もしかしたら後日思い出したら聞くかも)


たぶん。その写真を撮ってからカメラを現像に出すまでの間に、山脈写真フィルムの間では人間界より相当なが~~い時間がたって、さらに地面にしわがよって、よって、よって、よって、山が5つ増えたのだろうと思う。それが、写真がCDに入れられるときになんかはみでちゃったのだろと思う。


何がどうなってそうなったのか、本当のことは分かんないんだけど、でも、なにはどうあれどっかで山が5つ増えたのだろうと思う。

 

さいご
花火を半分だけ見ながら向かった高円寺。帰り際、1時間30分だけ入ったカラオケの最後10分。


はもられた夏色を聞いて、オレンジレンジの花を聞いて、退室時間が来るのと同時に、ああわたしの夏って今終わったなって思った。


次の日、その前の週よりも気温が上がって、あ、もしかしたらまだ終わってないのか夏、と思いきや、寄ったコンビニでおでんを買う人を見かけおつゆの匂いもしっかりとかげて、なんだ勘違いじゃなかったやっぱり終わったんだと確信ができたのでした。今年の夏は高円寺で終わったのでした。

 

そういったことをなんとなく思っていた最近。

 

大会の日に打ち上げられなかった花火がどこでどうなるのかは検討もつかないし、
神宮の花火だってそこから動いてはいなかったし、
プリントとデータで写りが違うのも、何か説明できる理由があるのかもしれないし、
暦のうえでは、夏が終わる日って決まってるのかもしれないんだけど、

 

花火はブルーベリータルトになってわたしの目の前に現れたし、
花火も中央線と一緒に三鷹方面に動いたし、
知らぬ間に山は5つほど増えてしまったし、
夏はゆずとオレンジレンジと共に終わってしまったのでした。

真実はいつもひとつとは限らないのでした。というのが空想でも別にいいのでした。

 

ちょっと暑いな

2017/08/16

「そうカンタンに言うなよ」って弥次さんが言ってる。

 

「なあ 今度の件をどう論評する?」「論評ったってなあ…」「リーダー不在の悲劇ってとこですか」「そうカンタンに言うなよ」って、サラサラサラと川に流されながら話している。

江尻之宿。「オリジナル次郎長がとにかく人間のわけへだてはいけねえってんでな」「ここらの人をみーんな次郎長にしちまったんだ」。てなわけで清水の次郎長しかいない町。みんな次郎長の顔。そしてついに土から伝説の大親分清水太郎長を掘り当てた次郎長たちが、親分欲しさに太郎長に近づいてゆく、ものの、大きな太郎長に握りつぶされ殺され、そうかと思うと太郎長をこっちから食い尽くす。のを見ていた弥次さんと喜多さんの会話。以上、しりあがり寿さんの『真夜中の弥次さん喜多さん』の話です。

 

時期も時期なので、学部時代に買って読みさしていた『戦後史の正体――1945-2012』を読んだ。著者は、「ツイッター・アカウントは5万人以上のフォロワーをもつ」って巻末著者紹介にあったけど、今見たら14万714フォロワーをもっていた孫崎享さん。買った経緯はここでははぶこ。

 

孫崎享です。たくさんの本のなかから、この本を選んでもらってありがとうございます。

 いま、あなたが手にとってくださったこの本は、かなり変わった本かもしれません。というのも本書は、これまでほとんど語られることのなかった『米国からの圧力』を軸に、日本の戦後史を読み解いたものだからです。こういう視点から書かれた本は、いままでありませんでしたし、おそらくこれからもないでしょう。『米国の意向』について論じることは、日本の言論界ではタブーだからです」

 

っていう2段落からはじまる、「はじめに」からはじまる。

 

序章 なぜ「高校生でも読める」戦後史の本を書くのか

   日本の戦後史は、「米国からの圧力」を前提にして考察しなければ、その本質が見えてきません

第一章「終戦」から占領へ

   敗戦直後の10年は、吉田茂の「対米追随」路線と、重光葵(まもる)の「自主」路線が激しく対立した時代でした。

第二章冷戦の始まり

   米国の世界戦略が変化し、占領政策も急転換します。日本はソ連との戦争の防波堤と位置づけられることになりました。

第三章講和条約日米安保条約

   独立と対米追随路線がセットでスタートし、日本の進む道が決まりました。

第四章保守合同と安保改定

   岸信介が保守勢力をまとめ、安保改定にものりだしますが、本質的な部分には手をつけられずに終わります。

第五章自民党と経済成長の時代

   安保騒動のあと、1960年代に日米関係は黄金期をむかえます。高度経済成長も始まり、安保保障の問題は棚上げされることになりました。

第六章冷戦終結と米国の変容

   冷戦が終わり、日米関係は40年ぶりに180度変化します。米国にとって日本は、ふたたび「最大の脅威」と位置づけられるようになりました。

第七章9・11イラク戦争後の世界

   唯一の超大国となったことで、米国の暴走が始まります。米国は国連を軽視して世界中に軍事力を行使するようになり、日本にその協力を求めるようになりました。

あとがき・資料・年表・INDEX

 

こういう流れ。

2012年発売当初、朝日新聞に、同書が謀略史観であるって見当違いな書評がでたらしい。そんな風に読む人もいて、それがそのままのる新聞があって、著者孫崎さんのそれに対するツイートがあって、で、結局書評一部は削除されてインターネットに公開されたのだとかなんとかかんとか。

 

「高校生でも読める」こともあって、ただただ分かりやすかったから、内容はすんなりと頭に入ってきた。読んでいて「分かる」というか、「理解できる」という感触があった。

ただ、一般的評価は賛否両論あって、具体的資料やエピソードに基づいたリアリティを評価する声もあれば、本書では抜けている、書かれていないあれやこれやあれやこれやあれやこれや歴史的背景等を挙げて不確かさを主張する声も多く目に付いた。

1を知ると、まだ知らない2~無限の気配に襲われるから本当はしんどい。し、愉しい。あああー次は何読めばいいんだろうかね。でも、今この本を読んで知った事実は、もちろん確かにまだ知れてない、ここには書かれなかった色んな色んな背景があるにしろ、その一部として知れた訳だから、それはそれでよかったと思う。この1冊を鵜呑みにするとか妄信するとか、そういうことじゃなくて。

 

間接統治のこと・サンフランシスコ郊外にある米国陸軍第六軍基地内の下士官クラブで米国側4人、日本側は吉田茂首相1人で結ばれた講和条約のこと・岸信介が米国に対して駐留米軍の最大限撤退などを提案していたこと・日本との「イコール・パートナーシップ」を唱えた日本出身の米国大使が1960年代にいたこと

たとえば、ちょっとだけ挙げるとすると、こういう一部分だけでも、今理解できた、という、その収穫で今は十分だと思う。

 

敗戦国の宿命ってとこですか」「そうカンタンに言うなよ」といったところ。

 

 

「論評」なんかできないのはもちろん、この本を読んでどう思ったのか。自分の意見を堂々と言えないってことは、考え足りていないってことだっていうのはそれは一理あるんだけど、そもそも今知ってることだけを材料に意見できないし、(もちろん一時的な感想は言えるしそれこそが重要なのもわかるけれどそれがふさわしくないときもある) 全部を知ることってとても体力がいることだし、まあこれは甘えなんだけれど、仮にもし、ぜ~~~~~~~んぶを知れたとしても、そうなるとさらに分からなくって自分の意見も立場も何も無くなって、わたしは宙に浮くと思う。本当に浮くと思う。これは、本当に。

 

でもって、色んな事情を知ることって、さっき言ったみたいに「知らない2~無限の気配に襲われる」しんどさと愉しさもあるけれど、それ以上に、「知る前に、何も知らない、ちょっとしか知らないときになんとなくこう思っていた」ことが、どんどん論理的に・しっかりとしたほかの事情が分かったうえで覆っていくしんどさもある。これは、ほぼしんどくなくて愉快であることのほうが多いんだけど、たまに、しんどいときもある。ああこんなこと知らなかったらよかったのかもしれないとおもうとき。いや、知らなかったらよかった、なんてことはないんだけど、こんなに悩ましいなら、っていうところで。超簡単な例を挙げると、戦争はよくないって強く思ってたけど、よくないからしない、っていうそう単純なことではないってことが分かって戦争反対って大声では言えなくなる、みたいなこと。わたしがどう思っているかはここでは何も含まないで、たとえば、のこと。

この本に寄せていうならば、TPP加入は危険だと思っていたけれど、そういう日米関係の事情があるならしょうがないのかーじゃあそんな大声で反対はできないのかー、みたいなこと。これも、わたしの実際の思いは置いておいて。

「そんな簡単なことじゃない」けれど、でも、あれとこれならば、どんな理由があったとしてもわたしとしてはあれの方がいいんじゃないか、ってことがある。だから、「あれがいい」って言いたいんだけど、でも「そんな簡単なことじゃない」。でもやっぱり、「あれがいい」。そのときの「あれがいい」は、なんとなくだけど、内側で大切に大切にしていても許されると思う。許してほしい。

 

 

ちょっとだけ知って、もっと知らなければいけないことがでてきて、ちょっとずつ知っていって、それでおわりでいいかもしれない。わたしがなにかに対して主張することができるように、そう世界は単純にはできてないってことだけしかはっきり主張できない。あれもそうだけど、これもこうで、だけどやっぱりあれがいいんだけど、でもこれもこれだからのエンドレス。それに、一つ決めたら次の日もそれに縛られないといけないってわけでもない。

 

もちろんエンドレスしてられないこともある。決めなきゃいけないこと・主張するべきとこはある。それはそう。上記は、それ以外のおはなし。ここは主張しておかないとただのおばかになる。

 

ひとまず、戦争とか日米関係のこともそうだけど、たった今の自分の寂しさとエンドレスに向き合う(ださい)。

 

打ち終わった今もう1回みたら、著者フォロワーが14万711になっていておやすみなさい。

2017/08/14

わたしが小学生のとき、授業中とか遠足でバスに乗った時とかに、たまにびびることがあった。いま同じ空間にいる人間は、みんな他人で自分とは何のつながりも無い(あるっちゃあるんだけれど、それは自分の意思とは関係無いからね)ことにびびっていた。幼稚園には通っていたけど、家族とか、家に来る大人子供くらいとしか面識がない生活から一転、小学校に入ってから朝から夕方まで全員他人と過ごしている、って事実にはっとする瞬間があった。みんなといるのに、そのことを考えているときは異常なまでにさびしくなった。泣きたいほどにこわくなった。常にびびっていたわけじゃなくて、ふとした時に。それもそんな数多くなかったと思う。だけど、びびっていた時の感覚は確かに覚えてる。

 

それと似た感覚をここ数日で思い出した。

大体1週間に1回ほどあそぶ人間と、3泊4日も一緒にあそんだ。(本当は、あそぶんじゃなくて生活をしたかったんだけど、やはり3泊ではそこまでいけなかった。生活っちゃあ生活だったけどまだ非現実だったそりゃそうだ)どこに行くでも目的があるわけでもなく、そのときに思いつくやり方で衣食住をともにした。

 

どの瞬間だったんだろう、朝兼お昼ご飯ガパオライスを食べている目の前の人間を見ているときには強く感じていたと思う。なんでわたし、他人と一緒にいるんだろうって思った。友人と何泊かで旅行へ行くこともあるけれど、それとはまた違う関係と時間の過ごし方。小学生以来、初めてその感覚を思い出したけれど、今回のは恐怖ではなくて、不思議だった。さびしくもならなくって、むしろぬくとい気持ちになった。他人と、家族と一緒にいるような感覚でこんなにも楽に生活(仮)できていること、できている自分、への不思議なんだと思う。有難さ、もあるけど、なによりも不思議。嬉しさもあるんだけれど、なによりも。

 

前述した長嶋有さんの『パラレル』もそうだけど、伊藤たかみさんの『誰かと暮らすということ』もそうだし、ぱらっと立ち読みした『くうねるところにすむところ(たぶん)』っていう漫画もそう。誰かと一緒に生活をするっていうテーマに、お話を通して触れることが多かった最近。そういうテーマには、相手とはそう簡単にはわかりあえないっていうことが大前提がある気がする。わかりあえない中で、言葉を発して受け取って、また発して、行動して受け取って、また相手に返してっていうやりとりが読んでいて愉しいんだと思う。「セージと虫」のやりとりなんてたまらない。あ、『目玉焼きの黄身いつつぶす?』もそうだな。そういえばブランチガパオの仕上げ目玉焼きを焼くのに、力入れすぎて白身全部こぼれてそれはそれは情けなかった。

 

「夫婦のようになった、と感じるとき、その二人の間には確かに文化が芽生えているのです。食卓でそれとって、といっただけで『それ』がソースか醤油か分かる。たてつけの悪い扉を開けるときの力の入れ加減を二人だけが会得している。そういう些細なものの集合はすべて文化で、外部の人には得られないものなのです」

 

って、『パラレル』のなかで津田が結婚式スピーチをしている。(ここでは、同棲と結婚をはっきり区別していて、結婚をしてこそ自分たちを守れる文化ができるっていうことを強調しているけどそれはひとまずおいといて。)

 

わたしと相手の人間の相性がいいからずっと遊んでいられるのだろう、と思ったこともあった。思っていた。実際に相性はとてもいいんだと思う。けど、数日エセ生活、エ生活をしてみて、相性のよさ以外の、それと同等かあるいは超えているようななにかを、わたしたちはこつこつ手に入れてきたのかもしれないとも思った。あそんだりぺちゃくちゃと話をしたりしてきた時間の蓄積が、2017年8月の連休の愉しさを形作っているんだと思う。何年たった今でも(大して経ってないけど)「会えてよかったね」といいあえる時間を与えてくれてくれているんだと思う。信頼・信用とか、そういうのはもちろんそうだけど、それこそ「力の入れ加減」がわかるようになるというか、話すべきことがわかるというか、なんとも一言ではまとめられない、ふたりで合わせる息、とでもいうのか。とにかく相性って言葉では言い切れないものを手中にしてきている気がする。これ、言葉にするまでもなく当たり前なのだけど、言葉にするまでもなく当たり前のことは言葉にしなくてもいいってことでもないだろうからここに書いてしまう。

 

もちろんなかには、時間の蓄積がないからこそ、というかなくても、好ましくて、ふとしたときに思い出す人もいる。これから時間を蓄積してゆけなくなったからこそ忘れられない、っていう人もいる。わたしにも、もちろん相手の人間にも。その中で、一人の人間とは毎日朝とか夜の挨拶をしたいと思う。層を厚くしたいと思う。とか思う。

 

そんなことを思える今は、津田のいう文化、の種をまく土を耕す土地を探しているような時間で

もっとその他人である人間、他人間(たにんげん)とたくさんやりとりをして、まあまあすれちがったり合流したりなんなりしながら仲良くやっていきたいものだと思って

平和であることの有難みって、もしかしたらそういう思いと1番近いのかもしれないなとも思って

昨日10箇所以上も虫に食われたところのとんでもない痒みがはやく治まってほしいとも思うけどそれもそれですこし寂しいなとも思って(ウナクール片手にこれ打った)