2017/08/22

N・S・ハルシャ展と、ナイト・オン・ザ・プラネットと、ワン・デイ・イン・ヨーロッパと、渋谷のクリスマス追跡と、二子玉川の電気屋さんと、甲子園と、リップスライム

 

今ここで生活しているっていうことだけしか同じことはない、ということは、今ここで生活していることは一緒っていうことだけは、それが続く限り揺らがないということ

 

って、思う話。

 

もう1回羅列すると、N・S・ハルシャ展の話と、ナイト・オン・ザ・プラネットとワン・デイ・イン・ヨーロッパの話と、渋谷のクリスマス追跡の話と、二子玉川の電気屋さんの話と、甲子園の話と、リップスライムの話。

 


展覧会グッズのトートバッグとか、母からもらったものとか、かばんはそういうのしか使ってなくて大人気ない。


今年4月、森美術館へ観に行ったN・S・ハルシャ展で買ったトートバッグが使いやすくて、頻繁に使っている。バッグに印刷されている作品がとても好きだったのと、そのタイトルが作品と同じくらい、それ以上に好きだったから、迷わず買えてしまった。

 

「ここに演説をしに来て」

 

N・S・ハルシャと巡る“チャーミングな旅”作品紹介#3《ここに演説をしに来て》 - 森美術館公式ブログ

 

引用
「《ここに演説をしに来て》はこの時点での集大成ともいえる野心作です。全6枚のパネルに2,000人以上の人物が描かれており、そのなかでは映画のヒーローや現代アートのスター、『いつもの』人びとなどがじつにおどろくべき多様さとともに描かれていますが、彼らが世界中どこにでもあるプラスティックの椅子に座っていることで、その場がどこであるのかは曖昧にされています。全体と部分、集団と個人、反復と差異は、この作品を制作して以降ハルシャにとってますます重要になっていきます」。

 

誰ひとりとして同じ人、外見も行動も、がいない様子は、俯瞰してみてもぐっと近づいて一人ひとり観てみても愉しい。
まさに「近づいてみれば物質の状態であり、遠退いてみれば観念のシステムである。作品の秘密は、距離の力学にある」って感じ。かっこつければそういう感じで、純粋にひとりひとり見てゆくのが面白おかしい。


そうやって観るのもいいし、それに「ここに演説をしに来て」っていう題がついてるなんて、さらに愉しい。
これだけ多様な2000人の前じゃ演説なんかできるわけないでしょ、って、そういうことではないんじゃないかね

2000人は普段話す言葉だってたぶん同じじゃない。言葉も違うし、価値観だって違うし、聞いたこと一つへの理解度だって違うし、その反応だって違うし、もはや全員が耳が聞こえるとも限らないし。
演説が無理ってわけでもないけど、簡単ってわけでもなくて、そういう云々ではなくて、「そういうところ」なんですよということが、その題名で全部伝わる。すげえ。「そういうところ」にそういう人たちが「座ってる」んですよ(もちろんそうじゃない人もいると思うけど)っていうことが愉しい。

 

演説が始まろうとそうでなかろうと、2000人が座っている

 


今年に入って、親しい人がレンタルしてきた「ナイト・オン・ザ・プラネット」という映画を観た。原題は「NIGHT ON EARTH」。

 

movies.yahoo.co.jp

 

引用。「地球という星の、ロサンゼルス、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキという5つの都市で、5人のタクシー・ドライバーが乗客を乗せた。同じ夜にそれぞれに繰り広げられる5つの物語」。


シーン(国)が変わるときに、ちがう時刻をさす5つの時計が並ぶのもよかった。

 

でもって、最近観たのが「ONE DAY IN EUROPE」。

 

movies.yahoo.co.jp

 

「サッカーの欧州王者を決めるUEFAチャンピオンズリーグ勝戦当日に、ヨーロッパの4都市を訪れた外国人旅行者をめぐる悲喜劇。人々が中継に熱狂しているときに異国の地でトラブルに巻き込まれ、途方に暮れる旅行者のエピソードを、オフビートな笑いで描き出す」。

 

同じ時間に、地球上の違う場所で起こることを、前者はタクシー、後者はUEFAチャンピオンズリーグ勝戦っていうフィルターを通して複数並べる。
その並べられた出来事たちは、それぞれはまったく繋がりはなくて、ただそのフィルター1枚で関わりあってるのがよかった。

 

その人がタクシーを拾うってことは、そうじゃない人もどこかでタクシーを拾っているってことで、
仕事さぼって決勝戦を観ちゃう人もいればそんなのどうでもよく困っている人もいるっていうこと、で

 


いしいしんじさんの『東京夜話』っていう文庫本をお借りした。

 

www.shinchosha.co.jp

 

いしいさんの文章を読むのははじめてだったけど、これは他の作品と少し印象が違うって聞いていて、最初に読んだがこの短編集っていうのはとても最高だなと思った。とても好きだった。


都内の土地にちなむ短編集。「クリスマス追跡」と題名がつけられたそのお話では、渋谷の姿が描かれている。

ある時期からクリスマスを避けてきた男性が、今、クリスマスはどうなっているのだ、「今宵こそ、対決の夜だ。油断するなよ、クリスマス。僕が見極めてやるからな」と外に出る。

 

まず足を運んだ御茶ノ水ニコライ堂での降誕祭には、
「ここには、ぼくが相手にするべきクリスマスはいそうになかった。いわば頑固一徹、職人気質のクリスマスで、その一貫した態度は立派だとさえ言える」


渋谷、山手教会のミサには、
ニコライ堂よりは薄味ではあるが、この教会にいるものも、やはり具体的なクリスマスだ。相手違いだ。内輪の寄り合いに口を突っ込むのは趣味じゃないし、意味がない」なんて思う、そのとき、歩道で「人波を切り裂いて、男女ふたりずつの四人組が、笑顔で拳を突き上げ練り歩く」姿を見かける。


「教会で祈る人も、歩道で歌う人もいる。キリスト教の人々も決まったやり方があるわけじゃないのだ。それぞれ勝手にやっているのだ。ぼくは少し安心して、あらいぐまたちから離れ、裏道を通って」向かう宇田川町では、クリスマスをわがままの「口実」にする女の子と男の子の姿を見、


「こういう夜に、ニコライ堂ではお経が上がる。聖歌隊は揺れさざめき、四人組は紙コップで乾杯する。そこにもスタンダードなんてない。みんなばらばらだ素晴らしい」
と感嘆するし、そのあとに目に耳にするものも相当おもしろい。クリスマスっておもしろい。

 


今年のたまがわ花火大会当日、17時頃、二子新地、屋台が両側に出ている通り、にある電気屋さん。表の通りには、屋台を出す人たちの声が響いてるなかで、その店内にはその日の昨日とも明日とも同じ、日常の空気が漂ってる。そこで店番をするおばちゃんは、巨人戦を観ている。あべしんのすけがアップで写ってるのが見えた。

 


親しくしている人が設計をした住宅にお邪魔をした。お施主さんが、直前まで見ていたであろう甲子園がテレビから流れてる。出場校校歌の歌詞が表示される。奥さんが「あ、作詞、南こうせつなんだ」と声に出す。それは宙に浮かぶ

 


カラオケで、楽園ベイベーのラップも歌えるお姉さん(のように慕っている人)と、サビしか歌えないわたし。

 

並べられている椅子に座っていても
ある時間にある土地でタクシーに乗っても
勝戦が開催されても
クリスマスの夜でも
花火大会の開催直前でも
甲子園がテレビで放送されていても
1人である1曲を耳にしていても

 

隣にはスーパーマンがいるかもしれなくて
ほかの土地でも同時にタクシーに乗る人がいて
そんなの観ない人もいて
祈る人も祈らない人もいて
天気よりも気になるものがある人がいて
口から出る、拾われない一言があって
その先何年か後に友だちになる人も、そこかでそれを聞いてるかもしれなくて

 

今ここで生活しているっていうことだけしか同じことはない、ということは、今ここで生活していることは一緒っていうことだけは、それが続く限り揺らがないということ、だけが続いてゆくのかもしれない

 

その確かなことがぶつかって、網目になって、友達ができたり家族になったりするのはもちろんそうで、そのことは今はおいておいて

 

とにかく、悟空たちがすむところは、わたしたち(の先祖あるいは子孫)が穏やかに住むところと繋がっているっていうこといぇいいぇい