2017/08/16

「そうカンタンに言うなよ」って弥次さんが言ってる。

 

「なあ 今度の件をどう論評する?」「論評ったってなあ…」「リーダー不在の悲劇ってとこですか」「そうカンタンに言うなよ」って、サラサラサラと川に流されながら話している。

江尻之宿。「オリジナル次郎長がとにかく人間のわけへだてはいけねえってんでな」「ここらの人をみーんな次郎長にしちまったんだ」。てなわけで清水の次郎長しかいない町。みんな次郎長の顔。そしてついに土から伝説の大親分清水太郎長を掘り当てた次郎長たちが、親分欲しさに太郎長に近づいてゆく、ものの、大きな太郎長に握りつぶされ殺され、そうかと思うと太郎長をこっちから食い尽くす。のを見ていた弥次さんと喜多さんの会話。以上、しりあがり寿さんの『真夜中の弥次さん喜多さん』の話です。

 

時期も時期なので、学部時代に買って読みさしていた『戦後史の正体――1945-2012』を読んだ。著者は、「ツイッター・アカウントは5万人以上のフォロワーをもつ」って巻末著者紹介にあったけど、今見たら14万714フォロワーをもっていた孫崎享さん。買った経緯はここでははぶこ。

 

孫崎享です。たくさんの本のなかから、この本を選んでもらってありがとうございます。

 いま、あなたが手にとってくださったこの本は、かなり変わった本かもしれません。というのも本書は、これまでほとんど語られることのなかった『米国からの圧力』を軸に、日本の戦後史を読み解いたものだからです。こういう視点から書かれた本は、いままでありませんでしたし、おそらくこれからもないでしょう。『米国の意向』について論じることは、日本の言論界ではタブーだからです」

 

っていう2段落からはじまる、「はじめに」からはじまる。

 

序章 なぜ「高校生でも読める」戦後史の本を書くのか

   日本の戦後史は、「米国からの圧力」を前提にして考察しなければ、その本質が見えてきません

第一章「終戦」から占領へ

   敗戦直後の10年は、吉田茂の「対米追随」路線と、重光葵(まもる)の「自主」路線が激しく対立した時代でした。

第二章冷戦の始まり

   米国の世界戦略が変化し、占領政策も急転換します。日本はソ連との戦争の防波堤と位置づけられることになりました。

第三章講和条約日米安保条約

   独立と対米追随路線がセットでスタートし、日本の進む道が決まりました。

第四章保守合同と安保改定

   岸信介が保守勢力をまとめ、安保改定にものりだしますが、本質的な部分には手をつけられずに終わります。

第五章自民党と経済成長の時代

   安保騒動のあと、1960年代に日米関係は黄金期をむかえます。高度経済成長も始まり、安保保障の問題は棚上げされることになりました。

第六章冷戦終結と米国の変容

   冷戦が終わり、日米関係は40年ぶりに180度変化します。米国にとって日本は、ふたたび「最大の脅威」と位置づけられるようになりました。

第七章9・11イラク戦争後の世界

   唯一の超大国となったことで、米国の暴走が始まります。米国は国連を軽視して世界中に軍事力を行使するようになり、日本にその協力を求めるようになりました。

あとがき・資料・年表・INDEX

 

こういう流れ。

2012年発売当初、朝日新聞に、同書が謀略史観であるって見当違いな書評がでたらしい。そんな風に読む人もいて、それがそのままのる新聞があって、著者孫崎さんのそれに対するツイートがあって、で、結局書評一部は削除されてインターネットに公開されたのだとかなんとかかんとか。

 

「高校生でも読める」こともあって、ただただ分かりやすかったから、内容はすんなりと頭に入ってきた。読んでいて「分かる」というか、「理解できる」という感触があった。

ただ、一般的評価は賛否両論あって、具体的資料やエピソードに基づいたリアリティを評価する声もあれば、本書では抜けている、書かれていないあれやこれやあれやこれやあれやこれや歴史的背景等を挙げて不確かさを主張する声も多く目に付いた。

1を知ると、まだ知らない2~無限の気配に襲われるから本当はしんどい。し、愉しい。あああー次は何読めばいいんだろうかね。でも、今この本を読んで知った事実は、もちろん確かにまだ知れてない、ここには書かれなかった色んな色んな背景があるにしろ、その一部として知れた訳だから、それはそれでよかったと思う。この1冊を鵜呑みにするとか妄信するとか、そういうことじゃなくて。

 

間接統治のこと・サンフランシスコ郊外にある米国陸軍第六軍基地内の下士官クラブで米国側4人、日本側は吉田茂首相1人で結ばれた講和条約のこと・岸信介が米国に対して駐留米軍の最大限撤退などを提案していたこと・日本との「イコール・パートナーシップ」を唱えた日本出身の米国大使が1960年代にいたこと

たとえば、ちょっとだけ挙げるとすると、こういう一部分だけでも、今理解できた、という、その収穫で今は十分だと思う。

 

敗戦国の宿命ってとこですか」「そうカンタンに言うなよ」といったところ。

 

 

「論評」なんかできないのはもちろん、この本を読んでどう思ったのか。自分の意見を堂々と言えないってことは、考え足りていないってことだっていうのはそれは一理あるんだけど、そもそも今知ってることだけを材料に意見できないし、(もちろん一時的な感想は言えるしそれこそが重要なのもわかるけれどそれがふさわしくないときもある) 全部を知ることってとても体力がいることだし、まあこれは甘えなんだけれど、仮にもし、ぜ~~~~~~~んぶを知れたとしても、そうなるとさらに分からなくって自分の意見も立場も何も無くなって、わたしは宙に浮くと思う。本当に浮くと思う。これは、本当に。

 

でもって、色んな事情を知ることって、さっき言ったみたいに「知らない2~無限の気配に襲われる」しんどさと愉しさもあるけれど、それ以上に、「知る前に、何も知らない、ちょっとしか知らないときになんとなくこう思っていた」ことが、どんどん論理的に・しっかりとしたほかの事情が分かったうえで覆っていくしんどさもある。これは、ほぼしんどくなくて愉快であることのほうが多いんだけど、たまに、しんどいときもある。ああこんなこと知らなかったらよかったのかもしれないとおもうとき。いや、知らなかったらよかった、なんてことはないんだけど、こんなに悩ましいなら、っていうところで。超簡単な例を挙げると、戦争はよくないって強く思ってたけど、よくないからしない、っていうそう単純なことではないってことが分かって戦争反対って大声では言えなくなる、みたいなこと。わたしがどう思っているかはここでは何も含まないで、たとえば、のこと。

この本に寄せていうならば、TPP加入は危険だと思っていたけれど、そういう日米関係の事情があるならしょうがないのかーじゃあそんな大声で反対はできないのかー、みたいなこと。これも、わたしの実際の思いは置いておいて。

「そんな簡単なことじゃない」けれど、でも、あれとこれならば、どんな理由があったとしてもわたしとしてはあれの方がいいんじゃないか、ってことがある。だから、「あれがいい」って言いたいんだけど、でも「そんな簡単なことじゃない」。でもやっぱり、「あれがいい」。そのときの「あれがいい」は、なんとなくだけど、内側で大切に大切にしていても許されると思う。許してほしい。

 

 

ちょっとだけ知って、もっと知らなければいけないことがでてきて、ちょっとずつ知っていって、それでおわりでいいかもしれない。わたしがなにかに対して主張することができるように、そう世界は単純にはできてないってことだけしかはっきり主張できない。あれもそうだけど、これもこうで、だけどやっぱりあれがいいんだけど、でもこれもこれだからのエンドレス。それに、一つ決めたら次の日もそれに縛られないといけないってわけでもない。

 

もちろんエンドレスしてられないこともある。決めなきゃいけないこと・主張するべきとこはある。それはそう。上記は、それ以外のおはなし。ここは主張しておかないとただのおばかになる。

 

ひとまず、戦争とか日米関係のこともそうだけど、たった今の自分の寂しさとエンドレスに向き合う(ださい)。

 

打ち終わった今もう1回みたら、著者フォロワーが14万711になっていておやすみなさい。