2017/09/01

マルセル・プルースト氏のボットをフォローしている


「どうして彼女は、『わたし、あの趣味があるの』と打ち明けなかったのだろう」(第六篇 逃げ去る女)


という今日の正午になされたツイートを読んで、昨晩の出来事を思い出した

 

「今なんの本を読んでいるの」と尋ねると、彼女はその文庫本を取り出して、最初は人物の言葉遣いがなんとかかんとか、とか抽象的に褒めだして、途中からあるページを開いて、「このシーンが」と語り始めた
登場人物の少年(なのかなどうかな)が身内の葬式に出席したときの自分の気持ちを思い出して語る場面で、それは悲しさ寂しさ驚き不安とか、そういう感情よりもすこしグロテスクな感情だった。グロテスクっていう形容詞をあまり使ったことが無いし意味もよく理解できていないけど、そういうニュアンス

 

その場面を「自分のことが書かれているかと思った」と彼女は話した
でもって、私自身も「自分のことが書かれている」と思った。自分が曽祖父の体が燃やされた火葬場にいたときのことをいつぶりかに思い出した

 

そこから、二人でその「グロテスク」な自分について散々話した

 

その夜に、彼女から、今日初めて、人の心の底にしまってあったこと話せたきがします、と連絡が来た。
奥底の引き出しにしまっていたことだったのかもしれないけど、話し出したのは彼女自身だった
「今読んでる本」がその引き出しを見つけて、たまたまその本についてわたしが聞きたがった、っていう、それだけだった


本を読んでいると、時折そういうことが起きる。
これ自分のこと、自分が思うことが書かれているとはっとしたり、さっき自分が体験した出来事、感情が書かれていたり、自分の好きな人のことが書かれていたり、読んでいるその時に驚くほど好きだと思える一節があったり、そういうこと
あるいは書き手の癖と自分の好みが一致したり、テーマが好ましかったり、と、内容ではなく書き手との親和性を感じることもある。

 

そういうことの起きる、読んでいるときの高揚とか、本当にお腹がむかむかして気持ち悪くなるほどの衝撃とか、をなんとなく知っている。
そのときの感情は、生身の人間を相手とした恋愛感情に近いと思う。

 

だから、1番好きな人たちが好きだという本をなかなか読もうと思わない。それはもはや嫉妬の対象となってしまう。
ちょっと仲良くなった友だち、くらいだったら、その人たちの好きなものはなんでも目にしたいと思うんだけど、それ以上好きになってしまうとそうは思えない。今のところ、そういう人が2人いる。
そのうちの1人とはじめて会ったとき、その時に本の話をして彼の好きな本を読んでいたり、同じ本を同時期に読みましょう、とか提案したりもしていたけれど、親しくなればなるほどそれができなくなったことを今思い出す。

 

その人に好かれたその本のことがうらやましくなってしまう。


そのくらい、読書体験っていうものが、その人にとってかけがえのないものだと思う。意識していても無意識だろうとも

だから、ってそういう論法にするのは無理矢理かもしれないけれど、好きな本、今読んでいる本で覚えている場面を話すことは、同時に自分について話すこととほぼ同じなのかもしれなくて、昨晩一緒にタイ料理を食べた彼女にとってはそうだったと思う

 

もしわたしが今読んでいる本を尋ねられて、いしいしんじさんの『東京夜話』であることは話せても、本当に1番好きな場面を、理由と一緒に相手に伝えられるか、といったらできるか分からない。(あと1つ短編を読み残しているから、1番かはわからないけど)そのくらい、「お話」はかぎりなく「私」に近くて、語るには恥ずかしくてたまらないものっていうこと


だからこそ、その『趣味』の話を人から聞くことはこのうえなく愉しいし、読んできた本について知ることはその人のことを知ることで、愉しかったり嫉妬を伴ったりもするけれどやっぱりやめられないことなんだと思う。


「だが、国内線のターミナルに着くと、飛行機が飛んでいないことがわかった。どうやら、霧が出ているようだ。
 ロビーの椅子は全て埋まっていたので、待ち時間のひまつぶしに、雪村たちは地べたに座って喋った。
 『あのさ、私、最近急に、世界がある、っていう気がしてきたんだけど、時田くんは最初っから、世界がある、って知ってたの?』
 と雪村は訪ねた。
 『何それ?』
 と時田が聞き返す。
 『なんで急に?』
 と鈴木さんも首をかしげる
 『ここ何日かで、急にそんな気がしてきたの。私、今まではみんなそれぞれの世界の見え方が違うから、ひとりひとりの頭の中に世界があるんだと思ってたの。だから人間の数だけ世界があると思ってたの』
 と雪村は続けた。
 『うん』
 と佐藤君が相槌を打ってくれる。
 『だから今までは、たとえ世界史でも、国ごとに言ってることが違うし、本当の世界史ってどこにもない、って思ってたんだけど、最近になって、物事が複雑なだけで、本当の世界史っていうのものが必ずどこかにある、っていう気がしてきたの』
 雪村がさらに続けると、
 『それはあるでしょ」
 時田は言う。
 『だから、私の頭の中に世界があるんじゃなくて、外界に世界があるんじゃないかって気がしてきたの』
 昼過ぎまで、床の上で待っていたが、結局その日は飛行機が飛ばなかった」。

 

これは、さっき『私の中の男の子』(山崎ナオコーラ)を読んでいたときにはっとしたところで、それはなぜかというと、東京夜話のなかでわたしがとびきり好きなところと似ていたからで、もし東京夜話と私の中の男の子の読む順番が逆だったら、今読んだときとは別の印象を持ったのかもしれない、ところ。

 

それだけのお話