2017/08/03

今日から会社に行かないことになった。

夏休み一日目、冷蔵庫の上の電子レンジの上に煩雑に置いてある物物がまるごと入る箱を買いに行こうと思ったけど、やめた。ある人間が、さらに小さなメジャーを新調するタイミングでもともと持っていた十分小さなメジャーをわたしにくれたので、それを買いに行く時に早速役立つのがとても嬉しい。

仕事をしない期間、仕事をしていない分、分といえるまでのことではないんだけど、無理矢理でも文章だけは書こうと思った。

なんで今までみたいにワードテキストに日記を書くんじゃなくてブログを作ったりなんなりしたりするのかというのは、その小さなメジャーを頂戴した人間のお父さんがブログを更新していることをふと思い出したことに一因がある。そもそもその息子も恐らくブログの類のものを更新してるんだろうけれど、それを思い出しても実際にわたしはブログを新設しなかったと思う。でも、父のブログ更新を思い出してなにか教訓的なことを思ったから、というわけではない。ただ、ただ本当に思い出しただけ。

 

週末に、築地本願寺の盆踊りに行くことになった。盆踊りなんだから、そこには色々な時空から人が集まるんだろうー、こんなときに自分の霊感が強かったらなーといったことを感じた。

そのあとに、youtubeで先日東京ドームで行われたORパーティの映像を見た。同じようなことは感じなかった。本当に今生きている人だけが今この場にいるんだな、という場だった。

わたしたちがなにをどう考えたってどう悩んだって、お盆にはご先祖さんが帰ってくるんだろうなと安心した。普段自分が仏教徒だなんて意識がなくたって、ご先祖さんは帰ってくるんだろうなと安心した。

残ってきた時間と世代を超えて蓄積された共通認識、というより事実、って言うほうがいい。それらがひとつの違い、といってもいいのかはわたしにはよくわからん。どっちがいいとかわるいとか、それ以外の軸でのはかりかたもできるのか、とか、そういうこともわたしにはわからん。

ただ、ある時間は確実に経ってるのはたぶん本当。いい、のかではなくて、それは、本当。本当である分、その残れてしまった時間とか凝り固まってしまった共通認識とかそういうものともなかよくしなけりゃいけないんだけれど、けど今は、ご先祖さんを迎える準備をしないといけないんだと思う。