2017/08/11

近づいてみれば物質の状態であり、遠退いてみれば観念のシステムである。作品の秘密は、距離の力学にある
って、『余白の芸術』に書いてあったことを覚えている。読んだ本に書いてある大概のことは忘れているけど、そのことはよく覚えていて、よく思い出す。

 

今夜、上野公園のあそこでナオコーラさんの『浮世でランチ』を読んでいたら
「都会へ出る。
 スーツを着こなし、ヒールの高いサンダルを履いた女性が、颯爽と地下鉄の階段を駆け上がっていく。
 素朴な雰囲気の可愛い女の子は、はにかんだ笑顔で友だちと喋っている。シンプルなTシャツやジーンズでも、髪を隠すスカーフを留めるのに、ピンクの石や銀の細工がほどこしてあるとても可愛いブローチを使っている。
 女の子を見るのは楽しい。
 頭の中で考える、絵に描くような輪郭の女とは、全然違う。
 実際の女は、近寄れば毛穴まで見え、遠ざかれば目鼻立ちがわかり、腕や胸の形がわかる。そんなものだ。
 ときにぶさいくで、ときに美しく見え、周りの雰囲気や、見ている自分の状況によっても、変化する」って丸山が考えていて、それで、冒頭のそれを思い出した。

 

そのあと、今日は特別21時まで開いている都美術館へ行った。杉戸洋さんの展示をみた。


杉戸さんのことはまったく存じ上げていなかった。ヴァンジ(地元にあるのでこんなに馴れ馴れしく呼んでしまう)で展覧会をやっていることは知っていて、わたしが小中高と通っていた造形教室に、杉崎スターという愛称をもつ杉崎先生と「杉」がかぶってるなー、という印象だけを持っていた、だけだった。杉がつく名前の知り合いはもっといるはずだけど、なぜか、杉崎先生を思い出した。そういえば、最近作品を読み出した堀江敏幸さんも、堀江という名字なだけでなぜかホリエモンの堀江さんが思い浮かんでしまい、大好きな読書好きのお友だちに(わたし)さん堀江さん好きだと思うよと言われるまで手にとったことがなかった。そのことを親しい人に話したら、ちょっとわかる、と言われてすこし嬉しかった。名前の印象って結構大きい。

 

なぜか団体料金で観れてしまった「とんぼとのりしろ」、想像をはるかに超えて好きだった。興奮した。上記の『浮世でランチ』で、丸山が
「その頃は、私は男の子の体よりも、マグカップの縁や、目がかゆくてたまらない、といったことの方が、性に近いと考えていた」と思うところがあるけれど、おそらく、ギャラリー内で性的に興奮していたと思うわたし。もしかしたらそんなことはなくてただ楽しかっただけかもしれないけど。

 

杉戸さんの作品は、抽象と具象の間を行き来するって説明されていることがどうやら多いらしい。そういう観念的なものは全然わからなくて、ただ近くに寄ったときにその物質がその物質以外のなにものでもないところが好きだった。だから、もしかしたらわたしが好きなのは杉戸さんの作品ではなくて、カンバスとか絵の具とか、木材とか紐とか、発砲スチロールとか、蛍光ピンクのガムテープとか、タイルとか、白い石とか透明な弦みたいなのとか、それら使われている物質そのものなのかもしれないけど、でもその物質が目の前にあるっていうことが杉戸さんの成果なんだから、杉戸さんの作品が好きって言っていいんだと思う。あーあ、楽しかった。本当に楽しかった。


ギャラリー内を歩き回りながら、そういえば造形教室に入ったきっかけ、というか入る前に見学したときのことを思い出した。教室、というか、部屋全体が新聞紙でいっぱいで、そのなかで同じ年代の子供がけらけらとなにかを作っていた。子供らの真ん中に座ってこれまたけらけら指導しているひげもじゃのお兄さんがあまりにもかっこよかった。その光景を、当時のわたしがどう感じたのかまでは覚えてないけれど、その光景を鮮明に思い出せることは確か。強烈だったんだと思う。新聞紙の海。


「抽象と具象」というキーワードだけど、杉戸さんの作風だけじゃなくて、物質そのものの性格が抽象と具象どっちとも言えない、どっちとも言える、その間にあるのかも、とさっきふと思った。
たとえば、枝を拾うときに、わたしが拾うのは目の前の「その」枝なわけだけど、その枝であると同時に、枝全部なんじゃないかなとも思う。これは全然考えを深めていないからここでおわり。


動物園に行ってもいないのにオカピ2頭とお会いできたし、とてもいい形の山も見れたし、なにしろ団体料金で観られたし、行ってよかった。傘も忘れなかったし

2017/08/09

自分、というか自分が結婚をしてその相手と一緒にひとつの(単位を知らないんだけど)寺を継ぐ、ということが決まっていると、日頃触れるものと自分の境遇を引き寄せて考える癖が身についてしまう


自分の態度や姿勢、これから学ぶべきこと、信仰するってこと、寺院そのものやそこで行われること、宗教者や信仰者のこと、そもそも言葉にすることやそれを伝えて共有すること、またそのお寺がある土地に対する姿勢とか、そういったものについて。
たとえば、「お風呂で話すと全部哲学的になる」なんてフレーズを聞いたら、寺院が持つ場所の雰囲気とお風呂の雰囲気って似てるのかね、お風呂としての寺院、おもろいふふふふと思っちゃうし、先日も挙げた『問いのない答え』のなかで「長渕剛の声と様子で言われたら、できそうな気さえしてくる。これは長渕剛がいるときにしか生じない唯一無二の説得力だ。長渕は問いも答えも自分一人で設定して、事実上の(感動的)演説としてみせた。この世に作用する言葉には、報道と、文学と、長渕の言葉がある、というサキのまとめで授業は大爆笑で終わった」なんて台詞を目にしたら、坊主頭の人が袈裟を着てゆっくり話したら、それだけでなんだかそれっぽくなっちゃってへんてこ、などと思う。そういった感じで日々引き寄せている。

 

先日、建築設計を生業としている人間から(わたしは違う)、「とてもおもしろい。あした(わたし)に貸すよ、建築の前知識がなくても、やわらか脳になれる読み物」と紹介されたのが、長坂常さんの『B面がA面にかわるとき増補版』。
テキストや論評がそもそも勉強になるのとおもしろいのと、作品、といったらいいのか、写真で見る実際の建物や部屋がなにしろ好ましくてとてもとてもよかった。


と同時に、演出家の岡田利規さん(わたしはこのテキストで初めて存じ上げた人)が、リノベーションと演出の倫理を似たものとして論じているように、わたしも、リノベーションとひとつの寺を継ぐことをいつものように引き寄せてあれやこれやと考えていた。

 

本来重層的である既存の建物から層を間引く、その方法をデザインすることがリノベーションである、と長坂さんは話しているけれど、これから継ごうとしている寺というものも相当重層的で相当厄介だなと思う。
ひとつ歴史、と言っても、宗教、仏教、宗派、その寺、その寺がある土地、継いできた、そして通ってきた人々のそれらが重なりあう。でもって、教えというのか教義というのか、そういう具体的に学ぶべき内容があり、それに伴うのか否か、習慣や風習、行事とか、人との関わりが発生していて、実際にそれを行う人々、とはいっても住職やその家族、檀家さん信者さん、あるいは地域住民、また同業者も含めてより業務的に関わる人々なんか、が存在し、存在すると同時に、それらの人々が、前述のそれらに対してそれぞれ異なった気持ちを抱えている。

 

寺という重層的存在を、リノベーションにおいての既存の建築にたとえれば、それを継ぐとすれば、建物にそのまま住む、建物はそのままでも部屋の模様替えをしたりカーテンや壁紙を変えたり、ぼろそうな所の修繕をしたりはする、あるいは環境をまったく変えずに自分の思考や生活自体を建物に合わせて変化させていく、など、もちろんリノベーション以外の道は選ぶほどある。


なんだけれど、問題は、わたし自身が寺という既存存在を本当に心からかっこいいと思えていないこと。もちろん、ただかっこいいと思える要素だってある。ただ、継ぐことを100%楽しむにはあまりにも重層的すぎる。だから、ただリフォームすれば住みたいと思えるようになるかといったらわからない。よって、リノベーションの話は、読めば読むほど自分が継ぐことへの問題定義に聞こえ、アドバイスにも聞こえ、でもってなによりも大きな励ましにも聞こえる。


以下、

青木さんのお話から思ったことひとつ
田中さんのお話から思ったことひとつ
長坂さんのお話から思ったことひとつ

 

ひとつ
青木淳さんが〈奥沢の家〉について
「既存と新装が混じり合うのではない。溶け合って、その区分が曖昧(アンビギュエント)になっている、というのではない。そうではなく、既存であると同時に新装であるという、ふたつの対立する見えが振動しだし、〈奥沢の家〉は両義性(アンビバレント)をまといだしていくのだ」
と言う。建築でいうところの新装は、寺を継ぐ話では、「もっとこうだったらかっこいいのに、こうだったらいいのに」というわたしやわたしの相方となる人間の考えとか理想的像に置き換えればいい。引用を続ける。
「〈奥沢の家〉は、いろいろな対立項が用意され、その間のアンビバレンスが、何層にも、丁寧に塗り重ねられた作品だ。その結果、ブレの感覚が増幅されて、それが通奏低音のように響いている。そのブレは、なにか特定の、たとえばオリジナルからのブレというのではなく、ただ純粋にブレている、という次元にまで達している。たしかにこの住宅は、先立ってそこにあったもの、つまりコンテクストと正面から向き合っている。という意味では、これは実に他律的な建築だ。しかし、その完全な他律性が、すぅーっと、純粋なブレの感覚に吸いこまれていっている」。


なんじゃそりゃ、ずるい、と思う。他律的であると同時に、純粋に自律的な性格ももてるなんて。なんてずるい、と思う。


寺院を取り巻く既存の外部条件が厳しいなかで、結果として自律的な行動をとることは実際のリノベーションよりはるかに難しい。なに頭のかたいことを、と自分でも思うけれど、でも実際に難しい。自分の主張をすることが難しい、というのと、そもそもそれがふさわしくない環境である場合が多い。し、わたし自身、全力で他律的でいることがそもそも理想であるとも感じる。(ここらへんはむずかしい。かっこいいと思えないと言っておきながら、それを変えることすらもかっこいいと思えないという。)だけど、他律的でいる、という自分の意思以外での「自律」はのぞめないか、というとそうではない。相方の人間と一緒に、自分の思う「新装」を絶対的に尊重し、自分たち(だけ)にはわかる自律的な方法で物事を選択、決定していくことはできる。目に見える形でなくても、二人が共有できていれば、まずは救われる。そこだけは確実に守りたい。そこができたら、その先の可能性だって増えてゆく。

 

ひとつ
田中功起さんのテキストを読む。
「手を加えないで視点だけを変える。これが、『受け入れる』こと=創造になる契機だ。たとえば、ネガティヴに見えていたもとをポジティブにする。これで十分なはずである。(略)重要なことは、つくるひとによるあからさまにわかるような実践である。圧倒的に、あけすけないくらい、変化を見せてしまう。リノベーションされた家は、そこに住むひと、そのあたりに住む人にとっての、視点更新のためのひとつのテスト・ケースとなり、基準となる」。


ネガティヴに見えたものを受け入れ、全部を受け入れたうえで視点を変えたことを、物質を扱えないわたしたちはどう人々と共有してゆけばいいのか。
教義とか知に関するものだったら、言葉なのか編集なのか、人との関わり方に関するものだったら、説明なのか態度なのか、そもそも視点の変え方だって慎重になる必要がある。視点を変えてしまったら自滅さえあり得るなかで、とにかく自分達に合う角度を探してゆく。

 

さいご
〈奥沢の家〉の外壁に関して、長坂さんはこう話してる。
「レンガにフロッタージュという絵画の技法を用いることにした。なじみのあるところでは、コインの上に紙をのせて鉛筆でこすり、コインの凹凸模様を鉛筆で浮き上がらせる方法だ。つまり、それで、レンガ貼りの複雑な形を、鉛筆でなぞったような平面的な線画にし、建物全体を'軽い存在’にかえたいと考えたのだ」。


同じものについて青木さんは「もともとのもの、新しいもので塗り込め、消そうとしている。と同時に、もともとのものを、残そうとしている。既存であることと新装であることを同時にしゃべろうとして、吃ってしまっている」、
田中さんは「外装の否定ではなく、肯定によって見出された視点」、と話している。


青木さんと田中さんのコメントも頷けるけれど、やはり「'軽い存在'にかえたい」という長坂さんのニュアンスが一番いい。そりゃ本人が言うことだからそりゃそうなんだけれど、とびっきりいい。
もう1回だけ打ちたくなるほどいい。「'軽い存在'にかえたいと考えたのだ」。やっぱりいい。
もちろん、物質そのものが軽いわけではない。しっかりと重力ははたらいている。だけど、軽い。ただ軽いわけではなく、レンガの重みのある軽さ。
(わたしの好きなものに引き寄せると、これは重力ピエロなんだと思う。これ以上は言わないけれど)

いくら重くても、その重さはそのままに軽くすることができる。建築にできるんだからわたしたちにだってできる。「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」ってことと近いのか違うのかはわらかないけど、たぶんできる。岡田さんの言葉を借りれば「『ダサい、死ね』みたいなひどいことを思わなくなり、反対に、距離をとったユーモラスな態度でそれを『かわいいね』というように見てあげることが、できるようになる」。
そのダサい事々は、自分たちがこれから迎え撃たないといけない困難なことかもしれないし、たぶんそれだし、学んでゆくこともそうだし、その伝え方だってそうだし、それら全部が重くのし掛かってくる。ただそれらは軽くできる。困ったらひとまずフロッタージュする。なんつって。でもそのくらい軽くできる。

2017/08/07

服部さんが表紙デザインしていた小説が気になってはいたんだけど、実際に読んではなかったし、そもそも女性作家だと勘違いしていた


先月の頭頃、図書館に寄って、返却直後の本が一時的にストックされている一角を覗いたときに見つけた『問いのない答え』の単行本を借りて読んだ。
「飲めるよね、ともっとも強気な態度でボトルのワインを頼んだ富田が横に伸びてしまい、あとからきた向こうの横長席の客のため、どかさなければいけなくなった。
 『すみません』いいえ。ドス江が富田の肩をゆすった。
 『すみません』いいえ。さっき隣の客と交わしたのとまったく同じ言葉のやりとりを路上でした。具合の悪そうな女――なめらかなハイヒールが片方脱げている――と、介抱している男の脇をネルコは通り過ぎた。居酒屋と逆で今度は謝られる側だ。
 富田は会計のときにやっと起き上がり、ヨロヨロとトイレに向かい、一回吐いた後はスッキリした顔をしていた。
 だいじょうぶ?と男の声だけが背後から響く。すました色の歩行者用青信号をみながらわたる。あの女も吐いた方がいい。
 自分のことでもだが、吐いた後スッキリするあの感じはなんだろうな。それはなにか大きなことの象徴のように思えたのだが、すぐに何々となぞらえることもできない」。


「それはなにか大きなことの象徴のように思ええたのだが、すぐに何々となぞらえることもできない」。はなしの中で何度も何度も繰り返されたこのフレーズを読んだときからもう長嶋さんのお話、というか長嶋さんのことが大好きになった。

 

「ホテルに帰ると二人は戻っていた。ガウディの作った小さな教会に行ったという。ちょうど新年のミサを行うところで、二人はそれに参加したのだそうだ。特別扱いされたわけではない。日本人としてでも旅行者としてでもなく、神のもとにミサに訪れただけの人として迎えられたのだろう。
 『一緒にくればよかったのに』二人はとても残念そうにいった。
 しかし僕は、自分が冴えない散策の果てに小さなカフェで女主人に見守られて仕事をしたことや、二人が異国で『本物の』ミサを体験したこと、二人が僕の不在を残念がったこと、僕が二人は雨にうたれていないかとつかの間思いを巡らせたこと、その出来事の全体を素晴らしいと思った。旅行をしているという実感があった」。
これは、次に読んだ短編集『タンノイのエジンバラ』中の『バルセロナの印象』から。友人の引越しお祝いを買いに二子玉川に行って待ち合わせ時間までの間で読んで、とてもいい気分になった。

 

これも抜群におもしろいエッセイ集をはさんで(これは全部読み終わる前に、あまりのおかしさに、親しい人間にも読んでほしくなったすぐに貸しちゃった)、次に手にとったのが『ジャージの二人』で、これも、柴崎友香さんの解説も含めてとてもよかった。

 

こういう話であることがおもしろいとか、こういう風な書き方であることがおもしろいとか、そういう言い方ももちろんできるのかもしれないけれど、これこれこういう時にこういう一言を放っちゃうような人物が出てくることがおもしろい、っていう言い方しか、残念ながら今のわたしにはできない。そういう言い方も、ナントカの描写、とか、ナンチャラの表現、とか、ナントカのナンチャラ、とか、そういう言葉さえ思い浮かばないんだけど、恐らく、人の発言がその言葉だけで完結するもので、その瞬間にたまたた口から出たものだけのものであるものと同時に、その人らしさもこぼしてしまう、みたいな、言葉にするとへんてこりんな、しかもたぶん解釈も下手なんだけど、そういう言葉で説明、抽象的に言えるのかもしれないけど、そうでもない。「これこれこういう時にこういう一言」を、読んでる時は抜群におもしろがれるのに読み終わったらわたしはすぐに忘れるから困るんだけれど。それこそ、先日書いたみたく、おもしろかったということだけがぽっかり浮かぶ

 

でもってさっき読み終わったのが文庫本『パラレル』。
上記したように、わたしは感想をうまく言葉であらわせない。し、同時に、うまいこと書かれた解説とか感想、評論は別だけど、の類もそこまで好ましく思えない。これもうまく言葉であらわせないんだけど、一つのお話とか作品は、ひとつのおいしい料理みたいなもので、それを食べてるときはただただおいしくて、その延長で調味料とか素材のことは考えたとしても、それらの栄養素のことまでは考えられない感覚と似ているのかもしれない、と今ふと思う。フレーズひとつひとつに一喜一憂して、拾われてく伏線にどきどきして、読了して本を閉じる。あとは自分の意識とは別のところで消化されて、血や肉となるのか、忘却というか排泄されていくのか。そんな感じ。ただ、パラレルに関しては、ゲームデザイナーの米光(すごい名字)さんが解説のなかで放った一言には100回ぐらい頷いた。解説にドックイヤーをしたのはもしかしたら初めてかもしれない。

たとえば、その一言が無かったとしたら、
「銀行の前に中古パソコン店のビラを配っている男がいた。男はいつ何時にいっても同じ場所で『あいすよー』と発音もあいまいに、酒焼けした顔で、背筋の曲がった、いかにも哀れを誘う様子で立っている。片手だけをつきだしてビラを渡そうとしていたが、誰も受け取ろうとしなかった。駅前のティッシュ配りの若者に感じられるような、無害さ、存在感の希薄さがその男にはなかった。なぜこの男にビラを配らせるのか、僕だけではなく通りがかる誰もが不思議だっただろう。
 津田はその男からなんでもないことのようにビラを受け取った」っていうのを読んで、あー、わたしが、隣で歩いている人間がケサランパサランの名を口に出した瞬間おどろいたのと似てる、目の前の人間のある部分に意識が飛ばされるってことは、大部分では自分との違いに気付くってことなのかもなーって思ったり、
「おはよう。今日はいい天気だね。
 いつもは午後なのだが、今日に限ってこんな早い時間の送信。僕の行動を見透かしているのか。だが離婚もして八ヶ月もたって、このうえなにを見透かそうというのか。女の直感というよいうな言葉を僕は信じていない。信じていないのだが、それは『女の直感』という言葉を信じていないだけで、そのもの自体は信じざるを得ないと思うときがある」なんていうのに、言葉そのもの信じられないということに対して、50回頷いたり、
文化とか結婚とかそういうキーワードに対してどぎまぎしたり、そんな感じの共感が大きく残っただけかもしれない。

 

「癒されたんだけど、それは簡単に、ってわけじゃない」。
長嶋さんの作品だけじゃなくて、自分が大好きだなと思う作品に共通するのかもしれない。ハッピーエンドだけど、そこまでの道は平坦じゃない、っていうことではない。「簡単に、ってわけじゃない」の、簡単じゃなさの質というか性格というか、種類というのか、それらが似ている作品をわたしは好ましく思うんだと思う。その質とか性格とか種類が、具体的にはどういった簡単ではなさなのかってことは別に言葉にはしたくないしそもそも簡単に言葉にしちゃえないんだけど。でもって、そんな一冊の本の解説を読んだだけで、なにか自分にとって大きなことがわかっちゃったらそれはそれでつまらないことはないんだけど。

 

2017/08/05

案内された席の横に置いてある背の高い植物を見て、その人間は、おじぎそうかなとおもったんだけどほにゃららほにゃらら、と、なにか手を動かしながら口にした。


その後お邪魔したギャラリーを出て大通りに向かうときに、同じ人間が、あ、ケサランパサランだ、って確かに言った。大きな綿毛みたいな白くてふわふわしたものが路上駐車場に浮かんでた。びっくりした。嘘だけどって言ったけど、本当に胸が締め付けられたみたいになった。知らなかった。その名前も知らなかったし、その人間がその名前を知っているってことも知らなかった。その名前のことは23年間知らなくて、その人間がその名前を知っていることは3年間知らなかった。


いつだか、牛乳をあたためるとできる膜、だったかその現象の名前だったか、とか、カーレースのときに鳴るうぅぅーんという音、かその現象の名前、とか、他にもいくつかわたしが知らないタカナ語をその人に教えてもらって覚えようとした時間があった。今は、恐らく聞いたらわかるだろうけど、もう覚えてない。わたしは物語の登場人物の名前も、そもそも物語のタイトルも、そもそもそもそも物語の結末だって、いろいろなことを覚えていられない。(ただ、『カラフル』の主人公の少年の名前は覚えている。)おもしろかったーってことを覚えてればいいやっていうところに甘んじている、というのも、おもしろかったーってことを覚えてればいいよね、って言い合えちゃえる友人のことをとても信頼しているから、甘んじている。植物とか花の名前だって、覚えられない。けど23年間と7ヶ月と少しを過ごせてしまっている。
だから、ケサランパサランだって耳にしたときに驚いたのは、その人間がケサランパサランっていう名称を覚えていたからっていうのもひとつはあるのかもしれないけど、そういうことじゃない。

 

わたしが、大きい綿毛みたいなものが浮遊しているところを何度も見かけたことがあるのに名称を知る機会が無かった一方、その人間は、27年間と2ヶ月と少しの間で、なにかの拍子で、誰かに聞いたとか何かで目にしたとか耳にしたとか、とにかくなにかの拍子でそのカタカナ8文字を自分のものにしていた、という、その違いを、あまりにも突然目の当たりにしたことに対する驚きだった。その違いがどのくらいの大きさのものかも分からないし例えようもないし、今後それがどうふたりに影響するのかなんてわからないけど、そこはまったくわからないけど、今日、リズムアンドブックスさんが夏休み中だった今日、mimetでお昼ご飯とかき氷を食べたあとに足を運んだ馬喰町のギャラリーを出て大通りに向かうとき、あ、ケサランパサランだ、って言えた人間と、そうじゃない人間、というふうにふたりがいきなり区別されたことだけは本当だった。から、びっくりした。


それだけ、わたしとその人間の共通点を見つけることに慣れていたのかもしれない。これからそういった違いがどんどんどんどんどんどんどんどん出てくることは、うれしい。心臓にはわるいけれどうれしい。そういう場面にはいつ直面するかわからないから、気を抜いてはいられない。おじぎそうの時は、正直これから一緒にお昼ご飯を食べられる楽しみが大きくて、油断していた。耳だけは動いていたけど耳だけだった。普段の会話、お互いのひとりごとつぶやきも含めて、は、じっくり読み返して面白がれる余裕なんて与えてくれないんだから気は引き締めていないと。と思った。


でもって、わたしがその人間とよく似ていると別の人間にケサランパサランの話をしたら、それこのくらいの大きさの妖怪でしょと言われた。こいつも知っていた。なんで知ってるのかいつ知ったのか。なんでかもいつかも分からない思い出せないことにその人間はびっくりしていて、それは本当にびっくりするに値することだなと思った。

2017/08/03

今日から会社に行かないことになった。

夏休み一日目、冷蔵庫の上の電子レンジの上に煩雑に置いてある物物がまるごと入る箱を買いに行こうと思ったけど、やめた。ある人間が、さらに小さなメジャーを新調するタイミングでもともと持っていた十分小さなメジャーをわたしにくれたので、それを買いに行く時に早速役立つのがとても嬉しい。

仕事をしない期間、仕事をしていない分、分といえるまでのことではないんだけど、無理矢理でも文章だけは書こうと思った。

なんで今までみたいにワードテキストに日記を書くんじゃなくてブログを作ったりなんなりしたりするのかというのは、その小さなメジャーを頂戴した人間のお父さんがブログを更新していることをふと思い出したことに一因がある。そもそもその息子も恐らくブログの類のものを更新してるんだろうけれど、それを思い出しても実際にわたしはブログを新設しなかったと思う。でも、父のブログ更新を思い出してなにか教訓的なことを思ったから、というわけではない。ただ、ただ本当に思い出しただけ。

 

週末に、築地本願寺の盆踊りに行くことになった。盆踊りなんだから、そこには色々な時空から人が集まるんだろうー、こんなときに自分の霊感が強かったらなーといったことを感じた。

そのあとに、youtubeで先日東京ドームで行われたORパーティの映像を見た。同じようなことは感じなかった。本当に今生きている人だけが今この場にいるんだな、という場だった。

わたしたちがなにをどう考えたってどう悩んだって、お盆にはご先祖さんが帰ってくるんだろうなと安心した。普段自分が仏教徒だなんて意識がなくたって、ご先祖さんは帰ってくるんだろうなと安心した。

残ってきた時間と世代を超えて蓄積された共通認識、というより事実、って言うほうがいい。それらがひとつの違い、といってもいいのかはわたしにはよくわからん。どっちがいいとかわるいとか、それ以外の軸でのはかりかたもできるのか、とか、そういうこともわたしにはわからん。

ただ、ある時間は確実に経ってるのはたぶん本当。いい、のかではなくて、それは、本当。本当である分、その残れてしまった時間とか凝り固まってしまった共通認識とかそういうものともなかよくしなけりゃいけないんだけれど、けど今は、ご先祖さんを迎える準備をしないといけないんだと思う。